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総統閣下の憂鬱

世捨て人の戯れ言

秀忠が将軍になったのは既定路線で別段珍しいことでもない

先日、BS NHKで「英雄たちの選択 徳川繁栄のカギは第二次上田合戦にあり!? 凡庸の将軍・秀忠の真相」

というタイトルの番組を見た。番組の中で秀忠が将軍になった経緯が語られていた。そういえば私が子供の時にこういう話を聞いたのを思い出した。

徳川秀忠は家康の三男だけど将軍になったんだ。それは、彼は武将として活躍したわけではないが、これからの世の中を収めるのに武勇ではなく落ち着いた性格が適任ということで三男だけど彼が将軍になったんだ。

この話を聞いて「へぇ~、家康はえらいな。長男、次男を飛び越えて泰平の世に向いた三男を抜擢したんだ」と当時のちびっ子の私は思いました。

その後も「何故三男の秀忠が将軍に就任したか?」という話が時々テレビで語られたりしていたんですが、今思うと「秀忠将軍就任は当たり前じゃないか」と思うわけです。

まず、長男の信康は信長によって切腹させられています。この時点で亡くなっています。そして次男は結城秀康で元々家康は子供の時から彼を嫌っておりました。というか3歳になるまで父である家康に会ったことすらなかったぐらいです。

その後、秀康は秀吉への養子と出されています。養子といいますが、実質人質です。そして秀吉に実子の跡継ぎが生まれると結城家に養子に出される始末です。そんな彼が跡継ぎに選ばれるはずがありません。

ですから、秀忠は順番から考えてほぼ継承候補筆頭であったのです。三男ですが実際は長男と同じだったわけです。別に波乱でも英断でもなく順当な後継者選びなだけです。

ちなみに、家康以外の家臣は別に結城秀康を嫌ってなかったので後継者会議の時に普通に秀康を支持する家臣が多かったそうです。というか、家康自身が子供の中で最優秀なのを秀康だと認めてたぐらいですから。

家康自身能力は認めても、ただ嫌いだから後継者から外した。恐ろしい話です。彼は武人として非常に優秀でカリスマ性も高く、また豊臣家や秀頼の愛情も深く、おそらく彼が生きていたら大坂の陣は違った形になっていたのではと思います。

ちなみに家康は子供をたくさん産んでいますが、若い時の子供が非常に少ないです。関ヶ原当時58歳なのですが、その際に成人してる子供はわずか3名です。秀康に秀忠、そして四男の忠吉がちょうど20歳です。彼は家康が37歳の時の子供です。

家康の子供は殆どが40歳以降の子供(男子11人中7名)というちょっと不思議なところがあります。若い時期の子供は亡くなった子が多かったのでしょうか。