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総統閣下の憂鬱

世捨て人の戯れ言

数学を勉強する意味

高校生の頃、微分積分と言わないまでもサイン・コサインやベクトルを学習し始めると必ず「これ、やってなんの意味がある?人生に必要?」と誰しもが思います。

本の学校という所は基本的に自主的に考えるという機会(つまり知性)を奪うことが多いとよく批判されてますが、とりわけ学習に関しては更にその傾向が強く「つべこべ言わずにとにかく黙ってやれ」という理解よりも暗記重視の詰め込み型の学習をさせます(少なくとも私の学生時代はそうでした。)

そのため生徒達は自分達が一体何のために勉強しているのか?そして将来何の役に立つのか?ということを分からず(知らず)に思考停止をさせられた状態で無理やり勉強させられます。

これが数学以外の教科、例えば英語であったりすれば誰でも「英語を勉強すれば英語の文献を読んだり外国人と会話をすることが出来るようになる」ということが簡単に理解できますし、歴史や地理などの社会の科目も「知識を増やし、教養を高める」ということが誰でも理解できます。

まあ、ここでは詰め込み型の教育の是非については脇においておき、なぜ数学を勉強しないといけないのか。「レジで会計する際の足し算引き算さえできれば問題ないんじゃないの?」という疑問に対して考えてみたいと思います。

★とにかく論理的思考力を養おう

数学を勉強する根本的な意味は「思考力」とりわけ「論理的思考力」を養うためであるといえると思います。例えば複雑な図形の証明問題があったりします。頭の中で答えにたどり着くまであれこれ筋道を立てて考えて最終的に解答を導きます。

問題にもよりますが、公式を用いたりして何段階も論理を組み立てて理路整然と証明します。これは日常生活とは関係ないと一見思いますが、実際には例えば相手と話し合う際の議論の場などで役立ちます。相手の意見が間違っている場合、それを筋道立てて説明して論破することは数学の証明問題となんら全く変わりません。

複雑な計算をするため数学では数字という抽象化された記号を使っています。そのため一見すると実生活に全く役立つ様に感じませんが、実際には無意識のうちに数学力を日常生活に活用しています。

ビジネスマンがよく、会社の会議やプレゼンテーションで説得力ある論理的な話し方をしたいとビジネス雑誌などで相談していますが、こういった場合も有識者に「中学・高校程度の数学でいいので、一見すれば遠回りに思うかもしれませんが、ぜひ勉強をやり直してみてください。」という回答が寄せられたりしているのを見かけます。

実はこの論理的思考は数学だけでなく現代文にも求められる能力です。例えば、空欄の穴埋めに接続詞の「だが」「しかし」「すなわち」「つまり」などを選ぶような問題は接続詞の前と後でどのように論理構造が変化するかを問う問題です。一番理系チックな数学と一番文系チックな国語が実は根底では同じ能力を試験で試されているというわけです。

★鍛えられる計算力と発想力

先程は図形の証明問題(幾何学)を例にしましたが、同じように、XやYを用いた方程式などの数式(代数学)を解く際に求められる計算力も知的活動をする上で非常に大切な能力です。試験の時間内で素早く正確に解答を導き出す計算力は大切な数学の要素の一つです。

ただ、残念ながら純粋な意味での速くて正確な計算力は現在では必要とされてはいないです。なぜなら電卓やエクセルなどのコンピューターを使えば瞬時に正確な答えが導けるからです。

しかし、だからといって計算力が必要ないとわけではありません。仕事における事務処理能力の作業速度は計算力に密接に関係ありますし、頭の回転の速さにも計算力は関連しております。同じ内容の仕事でも仕事の速さに差が出るのは計算力の力が働いているのです。

もう一つ、論理的思考力や計算力の他に複雑な課題の解決法を導くまでの発想力なども数学を学ぶ上で身につけることができます。

社会人が目の前の難しい課題をうんうん唸りながら考えるのは、学生が期末テストの際に難しい問題を前にうんうん唸りながら解答を考えるのと全く同じです。両者ともに目に見えない抽象的な思考力や発想力が試されています。

それならば、その能力を学生時代に鍛えた経験がある人が有利であることは言うまでもありません。高度で複雑な数的問題を解けるのであれば、同じようにより高度で抽象的な現実の課題に対しての解決法を導き出すのにも有利となるのです。

また、これは数学特有ではないのですが、一つの問題を解くために全神経を集中させるため、集中力を鍛える効果もあります。

★数学は考える力の筋トレと持久走

これまで数学が必要な場面を説明してきましたが、正直なところ実際生活で数学を使用する、例えば連立方程式を日常で使っている人はごく限られた一部の理系の人達でしょう。ですから連立方程式そのものを学ぶ必要はないと言われれば、必要ないと言えると思います。

しかし、連立方程式を勉強したのに分からない人(能力を鍛えなかった人)は連立方程式を解くために求められる以上の複雑で抽象的な思考を頭の中で行うことができないということです。

数学は「知性」すなわち抽象的な「思考」の世界においてスポーツでいう筋トレや持久走などに値します。筋肉や持久力などの基本的な身体能力が高いほうがスポーツ選手として万能であるように、数学は思考における基本能力として重要です。数学力が高ければ、高度で抽象的な思考力が求められる知的活動のあらゆる場面において高いパフォーマスンスを発揮できることでしょう。

★純粋に数学を身につけるためにも学びます

もちろん、数学を勉強する意味は全ての生徒が基礎体力的な思考力を養うためだけではありません。本来の目的である純粋に数学という学問を研究するためにも学びます。

これは数学が好きであったり得意である生徒以外には無駄になるかもかもしれませんが、将来の数学界を支えるであろう潜在的な生徒達のためにも必要なことです。同じように数学を必要とする物理学や化学、そして経済学などの研究者や技術者が将来困らない為にも数学を勉強する必要があります。

これは別に数学だけのことではありません。例えば、英語に関して「英文法中心の授業よりもっと日常会話などに力を入れた方がいいのではないかと?」いう疑問がよくなされています。これも実は将来英語で学術的に高度な論文を書いたり読んだりするであろうごく一部の人達が、将来的に困らないために学習しているわけです。

★やっぱりちゃんと説明してあげよう

数学なんて必要ないという人達に対する反論として時々このような主張を聞くことがあります。それは「我々が普段何気なく使用しているスマホやその地図アプリなどは数学的に高度な計算を用いて成り立っている。したがって、数学の勉強を否定するなら、こういったソフトやアプリを使うのをやめなさい」というものです。

まあ、現在殆どの人は日常生活で目に見えない形で数学の恩恵にあずかっています。恩恵を受けたらその学問を勉強しないといけないとなると、電気を使えば化学を学ばないといけないし、薬を飲めば薬学や生物を学ばないといけなくなります。

ですから別にスマホを使っているからといって数学を無理に勉強しないといけないことはありませんし、数学を勉強することを否定してもいいと思います。個人的には、非常に高度な数学はそういった製品を開発する必要ある方が勉強をすればいいと思います。

しかし、勉強するしないに関わらず、なぜ数学を勉強する必要があるのかぐらいを数学の先生は生徒に教えるべきだと思います。中学の数学の先生は学生時代に純粋に数学が好きだったり得意だったりした人が多いと思います。その為、数学そのものを勉強することが楽しいため、なぜ学ばないといけないのかといった根本的な疑問を深く考えずに数学と付き合っているのかもしれません。

また、教師であれば(教育界以外の)社会に出てない分だけ数学の実社会での必要性がイマイチわからなかったり、そういった視点での説明が苦手であると思います。

それに実際に数学を学習する意義を多くの生徒に説明しても理解できないと思います。けれども、意味がわからないなりにも説明をしてくれるのと、全く説明せずにつべこべ言わずにやれというのでは意味合いが違ってくると思います。

もし私が学生時代にこういった話を数学の先生がしてくれていたのであれば、私も一生懸命数学を勉強してこの文章も、もっと説得力のある論理的な内容を書けているのになぁと思っています。