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総統閣下の憂鬱

世捨て人の戯れ言

将来コンピューターや機械に仕事が奪われる世界

最近、自動車の自動運転が実用化されると「近い将来バスの運転手やタクシーの運転手が必要なくなり、コンピューターで自動化されたバスやタクシーに乗ることになる」という様な記事などを新聞で見かける様になりました。

まあ、別にこのことは驚くべきことでもなく例えば同じように鉄道では地下鉄やモノレールでは自動運転や後部車用に車掌がおらず運転手だけで運転しているような電車もありますし、昔は駅員がチェックしていた改札も自動改札機によってチェックされる様になりましたので、それだけで鉄道関連で大幅な人員削減が行われてきたわけです。

こういう技術革新によって人間の仕事が奪われるということは各分野で起きており、フランスではレジの自動化に反対するデモが行われております。

実は歴史的にこういった動きは珍しくなくライダット運動といって産業革命のイギリスでも機械に仕事を奪われると恐れた手工業者が蒸気機関で作られた織り機を壊すといった運動を起こしております。現代から冷静に振り返って見てみれば全く無意味な抵抗ですよね。

正直、テクノロジーの進歩によって人の仕事が奪われるのは別に新しいことではありません。昔は山間部では炭焼がどこでも当たり前に行われていましたが、戦後は都市ガスや灯油ストーブの普及などによって今では非常に珍しい仕事になりました。炭焼きをやっていた職人さんは食べていけなくなったので恐らく街に移動して新たに発生したプロパンガスや都市ガスの会社に就職するなりしたのでしょう。

問題となるのは炭焼き職人の転職者に対してガス会社が募集する求人が少ないということでしょうね。イコールであればいいのですが、技術革新が行われていればいる程人手がいらない職場になりますので仕事に就けない人が発生します。

現代は昔に比べて機械化が進み人手がかからない社会になってきました。そして、あらゆるものが以前に比べて低コストで生産できる社会になってきております。食料にしたって低コストで生産できるようになり、現在の日本では貧困家庭と言っても昔のように「貧しくてお腹いっぱい食べられない」レベルの貧困は珍しいかと思います。

現代の貧困は「車が買えないとか」とか「携帯の使用料が払えない」「友達の家は海外旅行に行ってるけどウチは家族旅行にすらいけない」という感じの貧困ではないかと思います。昔の貧困は本当に「お腹いっぱい食べられない」という時代でした。これも「食」のコストが大きく下がったおかげであります。

こういった効率化の社会が到来すると将来的に求人数と人口の割合がいびつになってくると思います。大げさに言えば

「人口100万人の世界で、どんな仕事でもいいから職を求めて働きたい人が50万にいる。けれど技術革新によって効率化された社会の為に社会の求人が25万人しかいない。したがって、25万人の人は仕事に就けずに求職待機で社会にあぶれることになる」

という可能性があるわけです。そして、低コスト社会ですので社会は最低限度の生活保護レベルであれば求職者である彼らを十分に養うぐらいの余裕がある社会が誕生する可能性があるわけです。

先程の運転手の話でないですが、自動運転化によってのバスやタクシーの運転手が大量に解雇される将来が十分に考えられます。解雇された人達は再就職先を探すわけですが、年齢が高い人であればあるほど再就職は難しいわけで働けない状況が発生します。働けないからといって彼らも別に働きたくないわけでもないしやる気はあるわけです。そして運転手であるなら直ぐにでも働ける技能も持っています。

しかし現実として車が自動運転化されるような技術革新が行われた社会であれば、単純労働はレジにしても運転手にしても機械に置き換わってしまっているので、そういった仕事をできるわけでなく、機械に仕事を奪われた労働者の方々を最低限でも食べさせていく為の社会保障も一緒に整備する必要がでる時代が到来するかもしれないわけです。

つまり「働かない・働けない」という状態が社会で当たり前の状況として認知されるので政府としてもそういった人達に衣食住の最低限度の保障をしなければならないわけです。

そうなると仕事をしている人としていない人の2極化が進む極端な社会が発生することになりそうです。目に見えるのは給料の格差です。働いてるのと働いてないのでは生活の差が天国と地獄ほど違うと思いますし。ただし、労働力の売り手が多いので賃金が相対的に大幅に低下することも考えられるでしょう。

また、仕事をしてない人達には「膨大なヒマな時間」という資源が発生します。彼らがそういった余った時間で新たに芸術分野なり創作活動なり機械ではできない分野へ進出したりすることが考えられます。また何かしらの活動に対してコストを考えなくていいほど暇なので、手間暇をかけた凝った仕事が新たに発生する可能性も考えられるでしょう。

例えば現在はクリーニングはお店によって手作業と機械作業の二種類があり、手作業の場合は機械に比べて値段が倍ほどもかかりますが、手作業のクリーニングであっても機械と同じ値段でいいよ。と言うような感じの採算度外視のお店が登場するかもしれません。

この辺は実際にどんな仕事が新しく生まれるかはその時になってみないとわからないと思います。ただ、中世の王様や貴族が芸術家にパトロンとして採算度外視で仕事を依頼して、現在にも文化財として残る見事な芸術品を残しましたが、同じような採算度外視の凝った商品が作られることは想像に難しくありません。

また、幼稚園などで補助員の数を増やして手間暇かけた教育をしたり、子供の家庭教師の数なども教師の数が溢れるために授業料の低コスト化が発生します。そして誰でも手軽に家庭教師を雇えるなど子供達一人一人の教育環境の充する実など思わぬメリットが発生するかもしれません。

何れにせよ機械化に伴い商品の均一化が起こると思いきや、労働力が余るゆえに逆説的に商品の質の高いものが溢れるかもしれません。思うままに書いたのでまとまりがなくなりましたがこの辺で。